十四朗亭の出納帳

アニメの感想、ゲームホビーの感想など 作品のジャンルにこだわらず書いていく予定です,SSとか書いてます

プロフィール

十四朗

Author:十四朗
(じゅうしろう)と読みます
ロボとか好き東方も好き
趣味の守備範囲は日々拡大中
東方の霖之助SSが主流です
一応現役の遊戯王プレイヤー
メッセ&スカイプは大歓迎です
SkypeID『Brassp905』


リンクはフリーなので
どなたでもどうぞ
もしご連絡いただければ高所から
イヤッホォォォォ!!します


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大体マルチ対応ゲームやってると思います。

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『8.8cmの女』

トリガーハッピー鈴仙シリーズ。
今回は銃が出てきません。
次回はサブマシンガンあたりを出したいですねー。

私の中で依姫さんは割と怖い感じ。
なんか無礼を働いたら一刀両断されそうですよね

※8/25 誤字がかなりあったので修正


『8.8cmの女』


霖之助、鈴仙、にとり、依姫、レイセン










まず刃の鋒を見据えて、呼吸を整える。
低く、唸るように吐き出して、今度は音もなく空気を吸い込む。
そしてまた吐き出す。呼吸の波が小さくなり、一本の細い線になってゆくのが感じ取れた。

相手の得物は手に握られたコンバットナイフ。
刃渡りは十五センチ少々。鈴仙の手にも同じものが握られている。

とはいえこのナイフの刃は紛い物で、刃に似せて作られたゴムでできている。
当たってもあまり痛くはないし、殺してしまう事もない。つまりは訓練用の装備だ。

だがナイフを用いた格闘戦はナイフだけが武器ではない。
ナイフを持った腕ともう片方の自由な腕。そして自らを支える足。
その他にも、自らの意思で動かせる部位は全て武器となる。
武器だけではなく、防御の手段にも。

鈴仙は右手でナイフを構え、脚を使って小刻みにフットワークを刻みながら相手の出方を待つ。
相手の方もフットワークを刻みながらじりじりと距離を詰める。

先手は向こうが打ってくる。そのように仕向けているのだから。

後頭部で纏めてポニーテールにした髪が鈴仙のフットワークに合わせて揺れた。
地上を走行する馬のように、規則正しく、激しく上下へと揺れる。
目で相手の得物を追いながら、常に相手の全身動きを観察し、僅かな動きも逃さない。

人生において吉兆や凶兆というものは何度かその姿を現すが、
近接格闘においてその兆候を逃すという事は自らの敗北、すなわち死につながる。
そう悠長な行為ではないのだ、戦闘というものは。

大きく息を吸い込んで、相手が動いた。
深く身を沈ませ、鈴仙の視界から狙いを外しながら接近しようとする。
脚を取るか、急浮上して首を取りに来るか。

一瞬の攻防。だが鈴仙はこの攻撃を極めて冷静に、そして素早く分析して行動に移した。
奇を狙いすぎている。それに仕掛ける距離も遠い。

相手が仕掛けた時点での距離は目測で百五十センチメートルほど。大股で二歩と少し。
下方に潜り込んでの奇襲を仕掛けるには些か遠く、相手に迎撃のチャンスを与えてしまう。
だがその迷いのない突進速度には特筆すべき点があった。

潜り込んでからの挙動が早い。
地を駆ける獣のように、俊敏で力強い挙動には正直なところ驚かされた。

さてどうする? 鈴仙はにやりと口元を緩めながら自問した。
上から潰すか、中段で迎撃するか。

この体勢からして上段からの振り下ろしでの迎撃は不可能だろう。
足の動きを見て迎撃を読まれる。
結果、下段から一気に上昇してのアッパーか斬撃。
速度と運動エネルギーで勝る相手が圧倒的有利だ。

次に中段での迎撃。これも難しい。
完全に潜りこまれてしまっている以上、懐で迎えるのは自殺行為だ。
受け止めたと同時にゴム製の刃が鈴仙の心臓部分に当てられ、鈴仙は敗北する。

この二択は駄目だ。どちらも勝利よりも敗北の可能性の方が大きい。
だがしかし、鈴仙に策が無い訳ではない。
むしろ初めから策はあった。相手が下段での突進で来ると決まった時点で、
既に鈴仙の取るべき行動は決まっていた。

先程の自問はどう料理してやろうかという余裕から来るものだった。
上が駄目なら下を。相手の更に下を攻めればいい。

極めてシンプルな答え。初めから決まりきっていた勝利の方程式。

鈴仙はナイフのグリップを強く握り直すと屈んで迎撃へと移った。
片足を伸ばし。もう片足を地面に固定して強く踏ん張る。
そしてそれを軸にしての足払い。

早業だった。鈴仙のポニーテールが落下して地面に接するよりも早くその足払いは行われ、
次の瞬間には完了していた。

悲鳴と共に、先程まで獣めいた獰猛さを見せていた相手は自らの運動エネルギーで空中一回転半を決めて地面へと叩きつけられた。

「背中から落ちたか」と鈴仙は舌打ちと共に口中で吐き捨てた。

「顔面から落ちればもう少し面白い絵が見れたのに。残念ですね」

「いててぇ……面白い面白くないじゃないですよぉう!」

「コインの表裏を当てるようなものです、気にしないでください。それよりも立てますか?」

「立てないって言ったら手を貸してくれるんですか?」

「いいえ。何故私がそんな事を」

「お、鬼教官だ……」

涼しい顔で先程までの相手。レイセンを見下ろし、鈴仙は彼女の言葉を受け流した。
字は違えと同じ名前で同じ種族。
どちらも月の兎で身分も軍人と元軍人といった組み合わせだ。
ただし先程負けたレイセンが現役の軍人で、鬼教官と言われた方の鈴仙が元軍人となっているが。

こうして鈴仙がレイセンに教官として訓練を施しているのには理由がある。
それはやはりあの日香霖堂を訪れた綿月依姫に関係する事だ。
月を捨て、故郷を捨て、友を捨て。全てを捨てて新しく生きてゆくと決めた鈴仙にとって、
厄介以外に形容しようがない自らの過去に関係する事。

正しくは自らの過去に関係する人物が運んできた出来事だった。










事の発端は二週間。
香霖堂の裏にある大木を重機関銃の掃射で撃ち倒した時まで遡る。

射撃実験を終え、重機関銃の重厚な射撃の感覚に昂っていた感情を急速に萎えさせる訪問者が現れた。
月の防衛隊の指揮官であり鈴仙の元上官、綿月依姫の来訪だ。
昔と少しも変わらない容姿に柔和な笑顔。そしてその奥にちらついている確かな殺気。
頭痛がしそうな再会だった。

もう決別したはずの、捨て去った筈の過去が実体を伴ってやって来たからだ。
実際、鈴仙の精神は極めて不安定な状態に陥り、今にも逃げ出してしまいそうな程怯えてしまった。

だが鈴仙は逃げなかった。
霖之助が自分には僕達が居ると言ってくれたから。一人ではないと言ってくれたから。
鈴仙は実体のある自らの過去と向き合い、対話を行う事ができた。

落ち着いた足取りと心境で客間に向かい、既にくつろいでいたにとりとレイセン。
それから背筋を伸ばして正座をしている依姫に軽く一礼して自らも座った。

にとりとレイセンは向い合って呑気に談笑しているが、依姫にはそういった遊びがまったくない。
ただ一人張り詰めた空気を身に纏い、得物である刀を床においてもその殺気は消えていない。

地上人というものを常に敵だと見定めているような女だ、
彼女にとってここは敵地であるという考えは至極当然な事なのだろう。

霖之助は少し遅れてから人数分のお茶と茶菓子を盆に載せ客間へとやって来た。
依姫は笑顔で礼を言ってレイセンに茶と茶菓子を勧めた。
しかし決して自分は口にしない。自身は口にせずレイセンにだけ茶と茶菓子を勧める。

この行動の意味するところを鈴仙は熟知していた。
つまりはそういう事なのだと。
変わるはずなどないと元から考えていただけに、この確信は不快というよりも安心だった。

良かった、これで遠慮無く嫌味が言える。

「暑いですね。こうも暑いと大変でしょう。
 このところ地上では毎日このような具合なのですか?」

「ほざけ」と鈴仙は無表情無感情を装った下で呟く。
そんな時候の挨拶から入らなくとも本題だけ手早く切り出せばいい。
穢れていると見下しているのならそんな形式事はしなくも結構だろうに。

鈴仙は相変わらず綿月依姫に対して無言の敵意を込めて見つめている。
この女性がどんな女性でどの組織に属している人物なのかを理解しているからだ。

そしてそれらの事をまとめ上げると、導きだされる結論はただ一つ。
あまり友好的ではない人物だという結論。

勿論綿月依姫がすぐにでも何か行動を起こすような女性ではないと鈴仙も分かっている。
この幻想郷には彼女が今でも敬愛する八意永琳が居る。
そして過去に第三次月面戦争にまで発展しかけたあの事件。

鈴仙は事件の渦中に居た訳ではないが、それでもその様子は見定めていた。
何かあればすぐに動く決意も固めていた。
だが結果は、何も起きなかった。

幻想郷の賢者八雲紫と彼女が送り込んだ無数の手駒によって。
駒は自らの事を駒だとはこれっぽっちも思っていなかっただろうが、結果として彼女は八雲紫の駒として動いた。
鈴仙はそのように分析している。

その折に彼女と彼女の姉、綿月豊姫は一杯食わされたようで、
双方の理解と共に事件は大した盛り上がりを見せず集結した。
一応のところは。

だが決して穏やかとは言えない綿月依姫の事だ。
何を理由に事を起こすか分かったものではない。
ひょっとしたら今この場で何かそういった事に利用できる材料を探しているのかもしれない。
このアハトアハトのような女は敵意という砲身を何処へ向けているか分かったものではないのだから。

そんな事もあり、鈴仙はかつての上官の訪問という事柄を怪訝な眼差しで見つめざるをえなかった。
そうでなくとも鈴仙は脱走兵。いわば咎人なのだ。
こうして現在月の者と面と向かって話をしている危うさというものを一番良く理解している。

兵士にとって脱走とは殺されても文句の言えない行為なのだ。
それが仮想敵の住まう場所となれば尚の事。

鈴仙は依姫の一挙一動を事細かに観察しながらも、
右手に握った湯呑みをいつでも投擲できるよう心構えをしていた。

こんなものでも投げれば一応の武器にはなるだろうし、中に注がれた茶はまだ熱い。
煮えくり返った液体が注がれていたのならばもう少しは殺傷能力に期待ができたのだが、それはもう茶ではない。
熱した天ぷら油と称するのが妥当なところか。

「まぁ概ねは。毎日毎日暑くて困りものだよ。
 とはいえそういうものだから仕方が無いと言えばそこまでだがね。
 そういうものとして受け入れるしかないさ。気象ばかりはどうにもならない。
 自然は大きく雄大なものだから」

茶を啜って霖之助も答える。
当たり障りの無い、時候の挨拶への切り返しとしては無難なものだ。

霖之助も月に関して全くの無知という訳ではないので、少しは相手の腹を探るような口調をしているが、
鈴仙ほど警戒していない。少しそれが歯痒い。
もう少し、この女性についての見解を改めて欲しい。

とはいえ霖之助と鈴仙の間でレイセンに対して警戒心がないという点では双方意見が一致している。
怪しむ様子もなく人懐っこい笑顔を見せているにとりは論外として、鈴仙と霖之助は相手の出方を伺っている。

「お天道様の下で汗水流して生活する。なんとも健康的ではありませんか。
 我々の住んでいる場所ではあまり馴染みがなく、素直に羨ましいと思います」

湯呑みを握る右手の力が強くなる。
いけしゃあしゃあと思ってもない事を言ってくれる。
羨ましい? この地上が羨ましい? 鈴仙は今にも腹を抱えて笑い出してしまいそうだった。

彼女の口からそんな言葉が聞ける日が来るとは。
やはり生きるという事は素晴らしい。生きていると何があるか分からない。
例えばこのように、ありえない人物からありえない言葉が聞けるのだから。

「まどろっこしい話はここまでにしませんか、綿月依姫様」

鈴仙は胸の奥に燻る感情をそこにしまったままの状態で催促を行った。
要するにこれ以上は可笑しくて笑いを堪えきれないので早く真面目な話をしてくださいという意味だ。

「せっかちになりましたね鈴仙。そう急いては転んでしまいますよ」

「時間は金銭で買えない貴重なものですので。あまり無駄にはしたくないのです」

「おや、随分と自分が多忙そうな物言いですね。こちらでの生活が充実しているようで何よりです」

「それで私達への用件とはなんでしょうか?」

無視して答えを促す。
こちらの物言いに対して眉一つ動かしてこないところを見るに、
元からこのような態度を見越していたという事だろう。

これを気に食わないと思ってしまうのは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの精神だからだろう。
適当に湯呑みを傾けて舌を湿らせながら依姫の反応を待つ。

「単刀直入に述べます。この子、レイセンを教育して欲しいのです」

沈黙だった。鈴仙が黙り霖之助が黙り依姫が黙った。
教育して欲しいと言われたレイセンは恥ずかしそうに後頭部を掻いており、
にとりは上手く状況が飲み込めないのか霖之助や鈴仙、それから依姫へきょろきょろと視線をやっていた。

「今なんと?」

思ったと同時に口が動いた。
いや、ほんの少し、ほんの少しだけ口の方が思考より早かったかもしれない。

「アナタが教官としてこのレイセンを指導してやってほしい。という訳です」

「お断ります」

また口の方が早く動いた。素早い。
脊髄反射という言葉があるが、まさに今の鈴仙は脊髄反射で口を動かしていた。

「拒否します。却下します。断固辞退します。拒絶します。拒否権を行使します。
 峻拒します。突っぱねます。はねつけます。門前払いします。
 拒みます。致しかねます。首を横に振ります。ケンもホロロにします」

「え、えぇ!? なんですかそれ!? ものすごく私拒否されましたよ依姫さまぁ!」

「でしょうね。この程度の事は予想していました」

「してたんですか!? この断るという意味の言葉を脳味噌の隅々から掻き集めた拒絶の姿勢を!」

「えぇ、概ね」

あらん限りの拒絶を受けて、レイセンはわなわなと震えながら依姫に縋った。
縋り付いて依姫の体を力任せに揺さぶろうとする。
だが依姫の体は少しも揺れなかった。そよ風に吹かれる湖の水面程も揺れてはいない。

基礎の筋力と依姫に備わった武道の技がなせる技だろう。
実際鈴仙も近接戦闘や単純な力比べで依姫に勝てるかどうかは分からない。

「アナタの心情を鑑みればその反応も当然です。
 私も無理強いはできませんし……」

「いいえ」

真っ直ぐに綿月依姫の双眸見つめる。
銃口を目標に対して向けるように、真っ直ぐ真っ直ぐに。
依姫は何も言わない。何も語ろうとしない。こちらの言葉が聞きたいのだろう。

まず息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。

「アナタは無理強いしようと思えばできる。私も無理強いされれば従うしかない。
 なぜなら私はアナタに。ひいては月に負い目があるからです。
 その負い目を使えばアナタは私を好きに使える。
 教官だろうが射撃訓練の的だろうが、好きに使えるはずです」

「だから無理強いをすると?」

「はい。アナタがその気になればいつでも無理やり言う事を聞かせられるはずです」

依姫は大きく溜息をついてまだ湯気の上がる湯呑みを見つめた。
一口も口が付けられず出された状態のまま机の上に鎮座している湯呑み。
おそらく彼女はこの場所で出されるこの茶に一口も口を付けないで帰るだろう。
綿月依姫という女性の事を考えれば妥当な結論だ。

その部下のレイセンは茶を飲み茶菓子を好きなだけ食べていたが、部下に流される綿月依姫ではない。

「それに今は有事でもないのでしょう? それなら兵の質を向上させる意味は薄いはずです。
 それもたった一人の兵士を選んで鍛えるなど。考えがよく分かりません」

「確かに。今は有事ではないので兵の質を急激に向上させる意味はないのですが……」

「では問題ないでしょう」

「えぇ、悪くても平均よりやや下なら使いようはあるのです。
 ですが彼女、レイセンは平均よりも下の下の下の下の下……砕けた言い方をすればヘボイのです」

「ヘボイのですか」

「ヘボイのです」

「ちょっと! ヘボイヘボイ言わないでください! 凄く傷つくのですが……」

言われなくともなんとなく予想はしていたが、この少女は兵士としての能力が些か低いらしい。
雰囲気がほんわかとしているとは思ったが、予想通り兵士には向いていない人柄だ。
護衛かと疑いもしたが、こんな護衛では毛虫にも勝てないだろう。

「なるほどね。それで依姫さんはそのえっと……レイセンを鈴仙に鍛えてほしくて連れてきたって訳か。
 どうでもいいけど呼び難いねこの名前。なんていうか紛らわしい」

「その通りですにとりさん。言われてみれば確かに紛らわしいですね」

「にとりでいいよ。みんな呼び捨てだし、さん付けされると背中が痒くなる。
 二世とか二番機とかMk-IIとかなら呼びやすいのにね」

「素直にレイセン二号で良いのでは?」

「あ、いいねそれ。二号って呼びやすいし。レイセン二号だと混同もしない」

「いや、あの……私の名前なんですけど。あまり遊ばないでくださいね」

「よろしくレイセン二号ダブルツインMk-IIセカンド」

「二がいっぱいだぁ!」

にとり本人には悪意というものはないのだろうがあまりにも酷なあだ名を付ける。
実際街中などであの名前を呼ばれたら恥ずかしくて発砲してしまいそうだ。
発狂ではなく発砲してしまいそうだ。鈴仙はそんな事を思いつつもさりげなく助け舟を出す。

「にとり、依姫様。レイセンとは私の名でもあります。
 あまり可笑しく改造されては私も恥ずかしいです」

「あ、そうかごめんごめん」

「そうですね。これは失礼」

にとりと依姫が申し訳なさそうに謝る。
別に謝罪を求めた訳ではないので少々面食らってしまった。
鈴仙はそれに付け加えるようにして提案をする。

「レイセンを外して単に二号。もしくはダブルツインMk-IIセカンドが良いと思われます」

「変わってない!? 
 むしろレイセンが無くなったから何が二号で何がダブルでツインで何がMk-IIで何がセカンドか分かりませんよ!」

「ノリですね」

渾身の一撃を受け流しつつ、鈴仙はさらにもう一口茶を啜る。
とりあえずのところは大変微笑ましい空気になったものの、鈴仙の意思は変わらない。
協力する気はない。だが相手が無理強いという手段を講じるのであれば応じるより他にない。

だが綿月依姫という女性は自尊心の高い女だ。
地上人を見下しがちなところはあるにせよ、搦手などといった小癪な策や脅迫めいた取引は好まないはず。
ならば必然的に、無理強いという卑劣な印象を与える手段は使ってこないはずだ。

万が一使ってきたとしても、彼女は自分の自尊心を削る事になる。
つまりは向こうも心情的には苦い思いをするという訳だ。

「さて、先程申し上げたように私はこの件に関して首を縦には振りません。
 おそらくアナタの言葉で気が変わる事もないでしょう。
 アナタが無理強いしない以上、私は首を縦に振らないのです。
 そして依姫様。アナタはそうした行為が嫌いなはずです」

「その通りです。私は敵であれ味方であれ元部下であれ、選択する意思を奪うのは嫌いです。
 そんな行いは決して上品とは言えませんから」

「でしたら……」

結果として依姫は諦めてくれるはずだ。
自尊心を削ってまで元部下にお願い事など誰もしたくはない。

「ですからアナタにではく、射撃場の主人。もといいこの店の主である森近霖之助さんにお願いします」

「僕に?」

「なっ!?……」

結果として依姫は交渉する相手を変えた。
無理矢理相手を従わせるぐらいなら交渉できる相手に切り替える。
そしてその相手は交渉する事を生業とする商人だ。

対価の大小はさておき対価さえ支払えば仕事をしてくれる商人と交渉する道を選んだのだ。

「綿月依姫!」

思わず腹の底から力を込めて声が出た。叫び声と表現した方がいいかもしれない。
嫌だと言われたから他の人物に相談する。至極当然な行動だ。
だが何故そうまでして拘る? たかが一兵士の教育に何故そこまで意固地になる?

そこが鈴仙には分からなかった。
兵士を育成するなら月でもできる。教えるものと教わる者がいればそれで成立する。
なのに依姫は態々地上まで足を伸ばし鈴仙に指導を頼んだ。

それが駄目なら霖之助に。
間接的にだが霖之助に戦闘の指導を頼むという事は鈴仙に指導を頼むという事と変わらない。
結局は戦闘訓練を施すのは鈴仙なのだから。

何故そこまでする?
何故そこまでして地上に自分の息がかかった人物を置こうとする?

鈴仙にはその思惑が理解出来ない。
依姫の腹の中に抱えた思惑がどうしても見えてこない。

密偵か何かだろうか。
それとももっと直接的な。地上へ何らかの行動を起こすに足りる火種をばらまきたいのか。

それが分からず、その思惑が気に入らないばかりに鈴仙は叫んだのだ。
湯呑みを握る手に力が入り、湯呑みには小さなヒビが入った。

「無礼でしょう、鈴仙。私はアナタをそんな無礼者に教育した覚えはありません」

「無礼もありません。アナタは何をしようとしているのですか? 何を企んでいるのですか?」

「何も企んでおりません。ただ兵を育てようとしているのです。それに……」

不意に依姫の顔から笑顔が消えた。無表情になったのだ。
背中に薄ら寒い感覚が走り抜け、湯呑みを握る手の力が緩んでゆく。

「今はアナタと話していない。この店の店主と話をしている。少し黙りなさい」

でなければ刀を抜くぞ。とは続けなかったが、鈴仙にはそう続けたように思えた。
依姫の傍らには得物である刀があり、それはいつでも手に取る事ができる。
対する鈴仙は丸腰の状態。

もし依姫が殺すつもりで刀を手に取ったとしたら、
それに気が付いて反応するのに鈴仙は一呼吸遅れてしまう。

次の一呼吸で依姫は刀を抜き、遅れて鈴仙は立ち上がろうとする。
その次の一呼吸で依姫は鋭い横一閃を放っているだろう。

跳ね飛ばされる鈴仙の首。にとりの悲鳴、霖之助の戸惑い。
それも二呼吸する頃には収まっている。依姫が全員に容赦なく死を与えている結果がそこにはあるだろう。

打つ手はない。逃げる事も不可能。
相手と机を挟んで相対しているとはいえ、この距離では相談もできない。
耳打ちすればかえって目立つ。

詰んでいるのだ、鈴仙達は。
この部屋でこの距離でこの状態になった瞬間から詰んでいる。

万が一剣先が狂ったとしても、丸腰ではどうしようもない。
次の一刀で殺される。過程に一つ異物が挟まるだけで結果は変わらない。

つまりは依姫の言う通り黙っているより他はないという事だ。
彼女は穏やかな態度を装ってはいるが気が長い方ではない。
その気になれば地上の民二人と元部下一人を殺すぐらい容易にやってのける。

苦いものを奥歯で噛み殺しながら、鈴仙は仕方なく押し黙った。
腹の底は煮えくり返りそうだが、それも押し殺してただ仏頂面で黙る。

「では話を続けましょう。
 この子、レイセン二号をここに置いて戦闘に関する技術を教えやってはくれませんか?」

「け、結局二号?」

レイセン改二号のツッコミを無視して依姫は続ける。

「見たところここには設備があります。勿論武器もあるのでしょう。
 あれだけ多様な射撃場です。多彩な訓練が期待できます。
 ですから、どうかこの単細胞動物よりも弱い兎を鍛えてやってはくれませんか?」

二号はも口出ししない。ただ頭を抱えて「単細胞単細胞単細胞」と繰り返すだけだ。

「勿論、御礼はさせて頂きます。月の都で使われている道具などはどうでしょう?
 どれもこちらにはない珍しい物ばかりだと思われます。
 道具屋であるアナタなら魅力的ではないはずがない。違いますか?」

頭を抱える二号を尻目に、依姫はそう言い切った。
口調は冷静で、先程の警告めいた敵意は混じっていない。

霖之助はただ黙ってそれらを聞いていた。
元々口数が多い方ではない霖之助は依姫と鈴仙が会話している間はただ黙って聞いていた。
空気が少しは読めるにとりは、自分の口出しする事ではないと察知してかあまり発言はしていない。

この部屋で交わされた言葉の大半は鈴仙と依姫によるものだ。
そして会話の主役が鈴仙と依姫から、霖之助と依姫に移った以上、少なからずこの部屋は静かなものとなった。

腕を組んだ状態で顎の下を摩り、難しそうな顔で霖之助は黙っている。
彼が何かを考える時の癖だ。こうすると落ち着いて物事を考えられると以前語っていた。

「やっぱり疑問なんだが」

霖之助が口を開く。何かを語っているのに静かという不思議な感じのする声だ。
森の中で聞こえる木々の葉っぱ同士がこすれ合う音や洞窟の空洞音に似ている。
周囲に溶け込みやすい落ち着いた声。溶け込みやすいが故に、定期的に聞かないと忘れてしまうような声色。

諜報員向きだなと鈴仙は前々から思っていた。
もっとも、彼にそんな汚れ仕事はして欲しいと思わないが。

「僕が承諾しようが、鈴仙が承諾しようが、結局戦闘訓練を施すのは鈴仙の仕事になるんだろう?」

「鈴仙にお願いした場合は。しかしアナタにお願いした場合は違います。
 アナタのお好きなようにどうぞ。私は彼女が立派な兵士になってくれればそれで良いのですから。
 鈴仙が教えようがにとりが教えようがアナタが教えようが構いません」

「僕とにとりは戦闘に関してはさっぱりだよ。だからだよ綿月依姫さん」

眼鏡の奥から覗く金色の双眸が依姫をよりしっかりと捉える。

「本質は何も変わらない。依頼を受けるのが僕であれ鈴仙であれ、本質はまったく変わらないんだ。
 変わらない分僕が得をする提案は受けかねるね。鈴仙と僕の両方に得がないと」

「私は?」

久々に空気の読めないにとりの発言が挟まった。
手刀を首筋にお見舞いしてやりたい心境だが今は抑える。
せめてこの交渉の結末を見届けるまでは。

「勿論にとりもだ。僕達に依頼する以上僕達全員が特をする取引でないと不平等だ。
 僕達は仲間であって部下上官の関係ではないからね」

上官でも部下でもない関係。平等に何かを共有する仲間。
思い返してみれば、あの時依姫の訪問に対して臆した鈴仙にもそんな風に励ましてくれた。

「僕達なら上手く行く」そんな事を言っていた。

甘い考えだが、反面頼もしくもある。
この身を委ねてもいいような。その身を委ねられてもいいような関係。
互いに自分の本分に関して厳しくはある。だが相手が本分の物事にはうるさく口出しはしない。
相手の腕を、相手の力量を信じているから。だから任せられる。

鈴仙は右手を強く握って彼の言葉を噛み締めた。
交渉は彼の本分だ。任せておけば悪いようには転ばない。

「では何を求めますか?」

「僕達三人それぞれにそれぞれの見返りを。
 全員が全員納得する結果を頂こうじゃないか」

「ほう、随分と高く付きそうですね。
 ですがなるほど。確かに筋は通っています。
 この子を教育するのはアナタ達なのですから全員に報酬は仕方がない。
 だとすれば、アナタ達は何を望みますか? 何を欲するのですか?」

沈黙した。只々沈黙した。
三人顔を合わせての沈黙。互いが互いに意見を求めての沈黙。

だが答えは出てこない。
当然だ。何故ならこの三人には現在進行形で喉から手が出る程欲しい物など存在していないのだから。

欲がない訳ではない。欲が有るか無いかと問われれば勿論欲は存在している。
しかしその欲は現状で既に満たされている。つままりは欲の受け皿が現状で一杯なのだ。
これ以上欲を満たすものを注がれては溢れてしまう。

つまるところ建前として対価を要求したはいいものの、その建前上の対価が三人には思いつかない。
対価として過剰な訳でも不足な訳でもない手頃なもの。言われてほいほいと出てくる訳がない。

「え、えーっとねぇ依姫さん」

申し訳なさそうににとりが挙手をした。一応は対価が決まったらしい。
とはいえ本当に一応決まったといったような態度なので、それで交渉が纏まるとは鈴仙にはとても思えなかった。

「はい、どうぞにとりさん」

「あの、私さぁ技術屋なんだけど当然そういう技術関連の物には心惹かれるんだ」

「心得ております」

「それで、月って軍隊があるんでしょ? 依姫さんや二号は軍人な訳だし」

「えぇありますよ。地上の軍隊よりももっと強力な軍隊がね」

「なるほど、じゃあ私決まった」

「では何が欲しいのでしょうか?」

「戦車!」

「却下します」

「なんでぇー!?」

「軍の所有物ですから。そればかりは私の一存ではどうにも……。
 それに軍事機密です」

「ぐぬぬぅ……やっぱり駄目かぁ」

「では店主さんは何を望みますか?」

惜しい! といった表情で悔しがるにとり。
鈴仙からしてみればまったくもって惜しいとは思わない。
戦車は無理があるだろうという当然の感想だけがあった。

「僕はそうだな……装甲車という乗り物はあるかな?
 頑丈で悪路もなんのそので走れると外の世界の書物にあった」

「まぁ、ありますね」

「それがいい」

「却下します。理由は先程と同文」

「大砲は付いていないからいいだろう。これでも譲歩した方だったんだが……」

そういう問題ではないと思う。またしても鈴仙は心の中でツッコミを入れた。
大砲がないからランクが下でひょっとしたら貰えるかもしれないという発想は無かった。
というよりも戦車や装甲車を貰い受けて一体どうするつもりだったのだろうか。
まず鈴仙にはそこが分からない。

「では最後に鈴仙」

「……私ですか」

いきなり欲しい物と言われても、鈴仙には欲しいと思う物がない。
仲間もいる。大好きな銃もある。衣食住にも困っていない。
欲しい物がないというのは恵まれた発想だが、無いものは無いのだ。
いっそ欲しい物が欲しい。

「言うだけ言ってごらんなさい」

「堅牢で簡素。生産性に富み、コストが低く整備が簡単。 
 体格や体重等の個人差に合わせた調整が可能で、その他の拡張性も高い。
 勿論汎用性も高く前線から拠点防御まで幅広く運用が可能で、過酷な自然環境でも問題なく動作。
 精密射撃が可能で弾詰まり等の誤作動も少なく信頼性が高いセミオートとフルオートを切り替えられる小銃ですかね」

「防衛隊の隊員に装備させたいぐらいですよ、そんな銃があれば」

「ですよね……」

とっさに思いつく欲しい物と言えばこんなものしか無かった。
今の暮らしに満足しているので取引してまで欲しい物はない。
これには全員頭を抱えるしかなかった。

与えるもの授かるもの。その両者が欲しい物の為に頭を捻っている。
滑稽もいいところだが中々見れた光景ではない。

「しかし仕方がありませんね。欲する対価のない方々に対価を支払うから依頼を受けてくれとは言えません」

依姫の表情には苦笑が混じっていた。
おそらく長い時を生きていてもこんな状態に陥ったのは初めてだろう。
如何に有益な取引でも、求める益がそもそも存在しないのなら益を用意しようがない。

「あの、待ってください!」

取引が無かった事になろうとした時、一人の少女が口を開いた。
二号だ。二号がすっかり緩みきってしまったこの場の空気を締め上げるように真面目な顔をして皆に訴えかけている。

「私は……私は立派な兵士になりたいんです。
 私、自分が兵士に向いていないのは知っています」

俯いて告げる二号の表情は暗い。
鈴仙が観察したところでは確かに彼女は軍人に向いていない。
それくらい分かっていた。面構えも戦う者の面構えではないのは明白だ。

「その事で依姫様や豊姫様。部隊のみんなに迷惑を掛けている事も知ってます。
 だから、だから立派な兵士になってみんなの役に立ちたいんです!
 恩がある依姫様や豊姫様。仲間として心通わせた部隊のみんなの為にも!
 ですからお願いします! ご迷惑で面倒かもしれませんが、どうかお願いします!」

ありがちな願いだった。
自分は弱いから強くなってみんなの役に立ちたい。
そんな子供のような願い。

成長すれば誰もが忘れ、口にしなくなるような子供の理想。
そんな理想をこの少女は臆する事もなく言い切った。

この部屋にいるもの全員に。
依姫に。にとりに。霖之助に。

そして鈴仙に。

強くなりたいから鍛えてくれと言った。
表も裏もない。企みや思惑もない態度と言葉で言った。
青臭いと切り捨てられるか。若いなと冷笑されるような言葉をだ。

「アナタは今言った自分の言葉を曲げずに貫徹する気力がありますか?」

自然と口が動いていた。
それは問い。己の意思を曲げぬかと確かめる問い。

「はい……あります。絶対に私は強くなります。
 頼るばかりの私から、頼られる私になります」

「そうですか」

拳を握りしめ強く頷く二号に、鈴仙はもう何も聞こうとはしなかった。
代わりに依姫を見つめて敵意のない穏やかな口調で話し掛ける。

「この依頼、引き受けましょう。
 報酬については……まぁ彼女を教育しながら考えます。
 霖之助さんもにとりも構いませんよね? 引き受けても」

大事な事は後から決める。目的と方針が決まっているのであればゴーサインを出せばいい。
些かアバウト過ぎる方針ではあるが、こうして三人でやってきたのだ、今更変えようがない。

「いぎなーし」

「僕も異議なし」

鈴仙の意思に二人も同意した。
鈴仙が納得して、自分の意志で導き出した答えなら二人は文句なしで賛同してくれる。
元々がやりたい事をやりたくて集まったような連中だ。面白そうな事を引き受けない道理がない。

「という事です。喜んでとはいかないものの、渋々ぐらいには受けましょう」

相変わらず依姫の事は気に入らないので皮肉を一つ。
それぐらいで気分を害する人物ではないと知っているが、眉の一つぐらいは動かして欲しいものだ。

「突然の心変わり助かります。不出来な後輩の演説に心打たれましたか?」

鈴仙の皮肉に対する返しだろう。依姫がそう尋ねた。そこに腹が立つ。
だが今は抑えて口元に微笑みを浮かべ、肩を竦めてこう答えた。

「昔も私は同じような事を考えてましたから」









「五十六」

模擬戦用ナイフを片手に襲いかかってきた二号の腕を捻り、
そのまま地面に組み伏せ喉元に模擬専用ナイフの刃を当てる。

二号に告げた数字は今日の死亡回数だ。
二号は今日だけで五十六回死亡した。今日の通算ではなく、ナイフ格闘の訓練だけで。
対する鈴仙は一度も死亡していない。

五十六対零。実戦なら戦場のちょっとした噂だ。
戦場の切り裂きジャックとでも呼ばれるかもしれない。

「ぐぇふ……また負けましたぁ」

「挙動が素直すぎます。どうしてナイフだけで攻めようとするのですか」

「だってナイフしか武器がない以上ナイフで攻撃するしかないじゃないですか?」

「ナイフを使った格闘はナイフだけが武器ではありません。
 ましてやナイフだけが防具でもないのですよ。
 全身を使って攻防を制しなさい」

二号への拘束を解除し、立ち上がるよう促す。
土塗れになった二号は半分泣き顔で立ち上がると再びナイフを構えた。
決して兵士には向かない穏やかな性格の割には負けず嫌いなようだ。

「一度も相手を殺せずに今日を終えるのは不服ですか」

「当たり前です! どうして私だけ死体の山と血の海にならなきゃいけないんですか!」

「実力が足りないからです」

「ぎゃふん! せ、正論が痛い!」

時に正論は拳よりも痛いものだ。

「まぁ百万回死んだ兎になる前に一回ぐらいは私を殺せるといいですね」

「それって猫の話ですよね? 前に先輩がしてくれた……。
 というか止めてくださいその話は! 前に先輩が私にしてくれた時に涙が止まらなかったんですよ!」

「実に鬱陶しかったですね」

現在二号は永遠亭の空室だった場所を間借りしてそこを寝床としている。
元々依姫が香霖堂へ来る前に永琳に会って交渉をしておいたそうだ。

病室と鈴仙達の私室を含めてもまだ余りある永遠亭だ。
一人ぐらい新参者がやって来ても受け入れるだけのキャパシティはある。

そんなこんなで二号は永遠亭の手伝いや、
訓練場である香霖堂の手伝いをしながらこうして鈴仙に戦闘の手解きを受けている。

成果は贔屓目に見ても良い方とは言えないが、ひたむきに挑戦するその態度には好感が持てる。
弾は狙った場所に当たらないし、格闘はすぐに読まれる等。
鈴仙が予見した通り毛虫より弱い存在ではあるが、強くなろうという姿勢だけは及第点だ。

彼女が地上で訓練を始めて早二週間。
目立った成果はないものの、訓練を始めたばかりの頃に比べれば少しずつ良くはなっている。
そして訓練を施し、成長してゆく過程を見守るのは楽しいものだ。

面倒な事を引き受けてしまったが、それはそれで楽しんでいる鈴仙が居る事を否定できない。

「さてさて、まだ立ち上がりますか」

「当然です! 一回ぐらい死体になってくださいよ」

「無理ですね。私の感情的にもアナタの技量的にも」

「また正論! 物凄い痛い!」

「ですがまぁ、ハンデぐらいはあった方がいいですね」

そう鈴仙は言うと自らの模擬専用ナイフを地面へと捨てた。
ゴムで成型された刃の部分が地面に当たりイレギュラーバウンドをして地面に転がる。

「丸腰で相手をしましょう。これでも推定戦力比四十対一で私の有利ですが、少しは変わるでしょう」

「うわー低い……凄い低い……」

「さぁかかって来なさい」

拳を握り迎撃の準備を完了させる。
小刻みにステップを踏み体を揺らす。
近接戦闘訓練の邪魔にならないように髪型をポニーテールにしている為、
鈴仙の艶やかな髪はしなやかに揺れ動く。

外の世界で言うところのボクシングに似た構えだ。

「でも四十対一という事は私が四十人いれば勝てるという事!」

「それで同等という意味ですがね。不本意ながら」

「つまり一人でも頑張れば勝てるかもしれない!」

「億に一つの確率では」

「チェストブレイク!」

胸を壊すという意味だろうか。それとも衣装箱を壊す。
いや、確か霖之助から借りた歴史小説に出てくる登場人物がそんな掛け声を使っていた筈だ。
二号も面白いと言って読んでいたが、影響されての事だろう。
小説では単にチェストとだけ叫んでいた気もするが、その辺りは鈴仙にとってどうでもいい。

小細工無しでナイフを片手に持った二号が突っ込んでくる。
少しは考えなさいと鈴仙は呆れ混じりに胸の中で警告した。

鈴仙はまず右足に力を込め思い切り地面に押し付ける。
地面には土や小石、若干の落ち葉などが混じっていた。
都合がいい。これなら派手に舞い上がってくれるだろう。

にやりとほくそ笑みながら力を込めた右足をそのまま蹴り上げる。
まだ蹴りの命中する間合いではない。
だが鈴仙の蹴りは二号ではなく地面を蹴り上げた。性格には大地を構成する土や小石、落ち葉等を。

土や小石は二号に対して容赦なく襲いかかる。
いや、二号が自ら突っ込んだと言った方が正しい。

突然の事に二号は反応が遅れ、目や口に異物が混入するのを許してしまった。
となれば必然、そこには隙が生まれる。

咳き込みながら目を擦る二号に鈴仙はステップで近づくと、無防備なその鳩尾に軽くジャブを入れた。
軽くといってもその基準は鈴仙にとっての軽くであり、二号にとっては別だろう。

ジャブが直撃するいなや地面に倒れこみ、空を斬るような呼吸音でもがき苦しんだ。
鳩尾は胴体の中でも急所中の急所。打撃を許せば激痛が走り呼吸が困難となる。

多数の交感神経が集まり痛覚に敏感になっている事もあるが、
肋骨の隙間を突いて横隔膜へダイレクトに衝撃が伝わる為、
鳩尾への衝撃は一時的な呼吸困難をも引き起こす。

早い話が打たれたら負ける場所という事になる。
通常、如何なる格闘技に置いても相手の鳩尾を狙い、自分の鳩尾は防御するのがセオリーだが、
二号は丸腰の相手という事もありそれを怠った。

加えて目眩ましによって視界を奪われていた。
無意識にでも鳩尾を守るべきところで彼女は混乱を起こし、
視界を確保する事だけに意識を取られてしまった。

その結果は見ての通り。二号の敗北で終了した。

「五十七回目の死亡ですね」

「うぅ……これも死亡に入るんですか?」

「入ります。私なら倒れたアナタを武装解除し拷問するなり物資を奪うなりして最終的には殺します」

「や、やっぱ鬼だ!」

涼しい顔でそんな事を答えながらも、やはり内心彼女の訓練を楽しんでいる自分がいる事を隠せない。
二号の人柄のせいだろうか。アレほど疑っていた依姫の依頼をここまで楽しくこなせるのは。
無論、まだ依姫に対して完全に信頼している訳ではない。

実は二号の態度は全部嘘で本当は地上を探るスパイかもしれないという疑いは常に付いて回る。
だが彼女の相手をしているとそんな疑いも薄らいできた。

もし彼女が駄目な兵士を演じて鈴仙の訓練を受けているとしたら、この反応はどうなる?
たった一人で送り込まれる諜報員というものは通常優秀である場合が多い。
近接戦闘なり銃を用いた射撃戦なり、
一通りこなせる上で更に忍耐や相手を信用させる演技が求められるものだ。

相手を信用させる態度はともかく、二号には格闘に関する心構えというものが殆ど見受けられなかった。
通常格闘技の修練を積んだものが攻撃を受けると無意識に受け身を取ってしまう。

猫が背中からは決して落下しないように、
格闘技の心得があるものは不意打ちでもない限り受け身を取るものだ。
それは殆ど脊髄反射の要領で。

しかし二号にはそれがなかった。
無論それだけで決め付けるのは早計だが、演じているというワザとらしさも見受けられず、
諜報活動をしている素振りさえ見せない。

信じれないという感想と同じぐらい怪しくないという感想は色濃いのだ。
そういう事もあり一応は真面目に訓練を施している。

「さて、今日はもうこの辺で終わりにしましょうか。
 そろそろ夕食の準備をしないと」

「あ、そろそろですか。そういえば今日は先輩が食事当番でしたね。
 何を作るんですか?」

「味噌煮込みうどんです」

「……今は夏ですよ?」

「味噌煮込みうどんです」

何か問題でも? といった具合に鈴仙が二号に鋭い視線を送る。
その視線を受けて二号は何も言い返せなくなった。

「絶妙なコシのうどん。こだわりの味噌と出汁で味付けをするスープ。
 具材は勿論豊富な野菜と新鮮な鶏肉という栄養満点な逸品。
 それから卵は外せませんね。味噌煮込みうどんの花です」

「でも熱いんでしょう?」

「味噌煮込みうどんですから。冷めた味噌煮込みうどんな味噌煮込みうどんにあらず。
 もしも冷めた味噌煮込みうどんを出すような輩がいれば」

「いれば?」

「街灯に一家諸共吊るし上げます」

「そ、そこまでしなくても……」

否、そこまでする。鈴仙・優曇華院・イナバはそこまでする女なのだ。
彼女は自分のこだわりに関しては人一倍敏感になる。
譲れないものはその言葉通り絶対に譲れないし譲らないというのが彼女の信念だ。

「でも店主さんなら涼しい顔で食べそうですよね!
 なんていうか店主さんって凄くクールですから」

「あの人はあの人で優しくて温かみのある人ですよ。アナタは霖之助さんについて何も知らないのですね」

優しくて温かい。
普段は寡黙で、不器用な心遣いしかできない彼だが、そんな彼の本質を鈴仙はよく知っている。
誰よりも近くに居て、傍らに居続けたいと願う人物の事なのだから、
彼を理解し知っていなくては意味が無い。

鈴仙は地面にうずくまったままの二号に手を差し伸べ立ち上がるよう諭した。

「なんだか先輩って店主さんの事になると甘いですよね」

二号は鈴仙の腕に捕まって立ち上がる。

「そうですか? 私はただ客観的に分析して事実を述べているだけです」

「なーんか贔屓目が入っている気がするんですけどねぇー」

「贔屓目とは?」

「つまりですよ? 先輩は店主さんの事が……」

言い終わる前に鈴仙は二号の腕を掴み、綺麗な背負い投げを決めた。
二号の謝罪と悲鳴が聞こえ、地面に叩きつけられた瞬間には沈黙だけが残った。

「食事の準備をしますよ。ちなみにこれで五十八回目の死亡。この後首の骨を折るので」

「……は、はい」

今度は手を貸さず、自力で立ち上がれと言わんばかりの態度で、
今日最後の死亡通告を告げると鈴仙は一人香霖堂の方へ歩き始めた。

言われなくとも自覚している事を今更他人に言われる事ほど恥ずかしい事もない。
それが好意だったら尚更だ。

あの毛虫より弱い兎は戦闘の腕はからっきしの癖にこういう事には鋭いらしい。
「まったく、面倒な事を引き受けた」もう何度目になるか分からない言葉を吐き捨て、
鈴仙は香霖堂の裏口から中へ入る。

夕食の支度をする前にまず彼に一声掛けておこう。
別段、特別な意味がある訳ではなく、
ただ「夕食の準備を始めるから切りの良いところで今日の商売は終わりにしてくださいね」というだけだ。

本当に、その行為には特別な意味はない。
半分言い聞かせるように鈴仙はそう強く念じた。
心の片隅にある「最近は二号に掛かりっきりであまり会話ができませんね」という言葉を押し殺して。

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